み〜みん
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『お義父さんが入院した・・・』   
それは葉子にとっては大きな衝撃であった。頭の中が真っ白になり、舅の入院先を聞くことも、病状を聞くことも忘れてただ呆然と手に持っている受話器をながめていた。庭で遊んでいる子供の姿が霞んで見え、笑い声がどこか遠くのほうで聞こえているようであった。
どのくらいの時間が過ぎたのであろうか。やっとあたりが暗くなっていることに気がついた葉子は、ゆっくりと・・何か特別なものを扱うように受話器をもとにもどした。

舅は、葉子にとってはただ舅というだけではなく実の父親以上の存在であった。末っ子の嫁ということもあってか舅はことのほか葉子を可愛がり、何かにつけ葉子をきづかってくれていた。
ある時などは、風邪をひいて寝込んでいた葉子に温かいうどんを食べさせたいと、台所に立つ舅の姿など一度も見たことなどなかったのに、どこで覚えたのか朝早くから自分でうどんを打ち、バスにも乗らずに3時間もかけて自転車で家までやってきて、葉子のためにうどんを作ってくれた。
『風邪は体を暖かくして寝ていればすぐに治る』そう言って葉子の枕元までうどんを運んできてくれたその思いがけない行動に、おもわず涙ぐんだ葉子の頭をまるで小さな子供をあやすように、舅の大きくて暖かい手がポンポンとたたいた。葉子はその大きくて暖かい手を忘れることが出来なかった。

葉子は施設で育った。4歳の時に母親に死なれ、男手では育てられないと施設に預けられたのである。

父と別れた日はとても寒い日であった。施設の前で、寒さで氷のように冷たくなった葉子の手を父の大きくて暖かい手がギュっと握り締めてくれた。そしてそれが顔も覚えていない父親の唯一の思い出であった。
結婚してからずっと、葉子を本当の娘のように可愛がってくれた舅は、葉子が想像で作り上げた父親像と重なるのである。そんな舅に葉子もまた本当の娘のように甘えた。
お祭りの人ごみの中ではぐれないようにと、舅の服の裾をつかんで歩いたり、一緒に食事にいったり・・・

葉子にとって舅の家は自分の実家のようであった。お彼岸や盆正月はもちろんのこと日曜にも、近所には里帰りをしてくるといって舅の家に遊びに来ていた。そんな時、普段は苦虫をつぶしたような表情の舅の顔が、こころもち穏やかな顔になっていた。姑もまた舅の機嫌が悪い時には、葉子に来るようにと電話をよこしたものである。

病室に入っていった葉子に『おう。きたのか』と元気そうにいった舅の顔は土気色で、まるで別人のようであった。涙を流している葉子の頭を、あの大きくて暖かい手がポンポンとたたいた。
『心配するな!すぐに帰る』舅がそう言った時、付き添っていた姑がそっと席を立っていった事に葉子は気がつかなかった。

舅が入院してから一ヶ月が過ぎようとしていた。姑が家に荷物を取りに行っている間、葉子が付き添っていた。ここ何日かは、舅は眠りつずけている。ベッドの端に頭をつけて、葉子もうとうととしていた。
頭に重いものを感じた葉子が目を覚ますと、舅の手が葉子の頭をなでるような格好で乗っていた。しかしその手はもう暖かくはなかった。

舅の葬儀の日は肌寒い日であった。
煙突から昇っていく煙を見ながら、葉子は父と別れた日もこんなふうに寒かったのを思い出していた。手が氷のように冷たくなっている。そのとき側に立っていたまだ幼い息子が、葉子の指をギュっと握ってきた。小さなそして暖かい手であった。そしてその感触に葉子は『ああ、ここに父と舅がいる』と思ったのである。

遠くの山並みが茶色にいろずき、冬がすぐそこまで来ていることを葉子は感じていた。

E N D